僕が高校生の頃・・・(ずいぶん前だな(笑))現代国語の先生が授業中に「いってきますの意味知っているか?」と脱線した。
この当時でも再放送の青春ドラマに出てくるような先生で、なんかやたらと強い筆圧で板書するので「ばきばき、ばりばり」とチョーク無意味に砕いているのがおかしかったのを覚えている。
「いってきます、というのは『行きます』と『帰ってきます』をあわせた言霊(ことだま)であり、呪術みたいなものなんだ」と先生。
「昔は旅をするのは命がけがったので、必ず帰ってきますという祈りが込められていたんだ!」・・・と熱く語っていた。
別に現国の時間が好きだったわけではないんだけど、ときどきこの言葉を思い出す。正直なにがおこるか判らない時代、「行ってきます」という言葉に「行ってらっしゃい」(行って・帰ってらっしゃい)という言葉がけが一層大切になってきたように思います。
さて、子どもたちと関わっていて気になるのが「一語文」を平気で使っているのが多いこと。例えばキャンプで子どもたちと食事をすると「醤油!」「ソースー!」と投げかけてくる。これも少子化、核家族化の影響というやつなんでしょうね。・・・でそういうときには「ふーん、君は醤油って名前だったんだぁ!はじめまして!」と丁寧に対応してあげる(やな、おやじだ(笑))。
キャンプ、は「しつけ教室」ではないんだけれど、おかしい部分はやはりチャンスを見つけては方向付けをする。そもそも、一語文というのは赤ちゃんの言葉ですもんねぇ?それを会話として大人が認めてはいけないのである(偉そうだけど)。
これを認めないということが、子どものコミュニケーション能力を伸ばすきっかけになると僕は思っている。言葉の大切さやTPOを子どもが覚えるのは近くにいる大人の「見本となる会話」と「方向付け」、少し意識的に働きかけるだけで驚く程子どもは変わるものですョ。ですから、この「間違った使い方」をした瞬間を「伸ばすチャンス」と大人は考えて丁寧に対応すべきでしょう。
——ある日、昆虫公園にて・・・
小学生:「おじさーん、アミ貸して!」
僕:「君ねぇ、『おじさん』の前に『こんにちわ』とか『あのー』とか入れなさい!」
決してこの場合もTPOを教えているのであって、「おじさん」と言われたことに腹をたてているのではないのである・・・たぶん
↑霜柱でぬかるむ通路に砂利を蒔く事にしました。常連の男の子も手伝う!とのことなのでお願いしました。
「ありがとう!」でも、ちょっと幅が狭かったね(笑)。